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時代(とき)の移ろい 豊後森機関庫保存会

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豊後森機関庫の歴史

 

●昭和9年5月8日(1934年)熊本建設省より森駅に正式工事認可おりる。 5月より工事着工にかかる。

●昭和9年9月6日(1934年)久大線工事は順調に進み、11月には全線開通予定で、最後の区間日田、天瀬間の工事が行われ、久大線の心臓部、機関庫も順調に工事進展、保線区事務所、官舎30棟、電気、電話、給水等の附属工事もあり、昼夜を問わずすすめられた。

●昭和9年11月15日(1934年)久大線、最後の区間日田~天瀬間が開通、これにより久留米・日田間の久大西線が全線開通

●昭和9年11月17日(1934年)久大線全線開通 森機関庫の落成を祝う。

●昭和20年(1945年)米軍艦載機からの機銃掃射による攻撃で「機関区」にも被害が及ぶ。現在もその痕跡を見ることが出来る。当時国鉄職員2名がその攻撃の犠牲となる。 ※玖珠町で最初の航空写真は、米軍によって撮影されたものだと言う。その写真には、皮肉にも機関庫が写されていた。

●昭和29年3月15日(1954年)豊後森機関区は隆盛を極め、配備車は25両、職員は217人が勤務していた。

●昭和45年(1971年)蒸気機関車は廃止され、新しくディーゼル車が導入さる。無煙化で同時に旧豊後森駅機関区に幕は下ろされる。

●昭和59年11月4日豊後森機関区開設50周年記念式典開催。国鉄合理化で同機関区の乗務員は66人。廃止された機関庫には宮原線を最初に走った「キハ07形式」1両が保管されていた。現在キハ07形は大分鉄道管理局が保有。

 

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